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夏休み英作文について(7) [自由英作文]

入試などの英作文

 入試などの英作文について私が知る事例をいくつか挙げます。

 ある大学では毎年とても難しい題目でかなりの分量を書かせる自由英作文が出題されていました。私はそれを見て、自分には日本語ですら書けそうにないと感じたので、受験生はどうしてるのだろうと気になっていました。ある年、変化が現れました。「○○行以上書くこと」という注意書きがついたのです。私はそれを見て、期待されるレベルの答案はごくわずかで、合格者の中にもほんの数行しか書けない人がそれまで大勢いたにちがいないと考えました。そして、そういう作文を採点し、部分点を与え、合否に関係させるのは不適切と判断されたのだろうと想像しました。数年後、また変化が現れました。「出題に無関係なことを書いても採点しない」という注意書きがついたのです。私はそれを見て、どうしても規定の分量を書きたい受験生が無理やり話題を変え、暗記してきた英作文で答案用紙を埋めている様子を想像しました。さらに数年後、最後の大きな変化が現れました。題目は一転して日常のありふれた話題になっていたのです。

[中略]

 こうして書かれている英作文の平均的レベルはこの数十年進歩していないと関係者の多くが感じているはずです。低下していると言う人さえいます。問題作成者は高度な作文を書かせたいと望みますが、試験そのものに受験者のレベルを引き上げる力はありません。受験者の中には英作文がうまくなりたいと意欲をもつ人もいるはずですが、それ以前にまずは一定の点数を確保したいと考えます。採点者は答案に満足していないかもしれませんが、なるべく時間と労力をかけずに採点し、序列を決めたいと考えます。このようなサイクルの中で、何が通じやすく、何が通じにくいか教えること、それを自分なりに工夫して身につけること、書かれた作文が実際に通じうるかどうか判定することが、どう位置づけられているのか私には疑問です。結局のところ「型どおりに書きさえすれば通じるはずであり、それ以上工夫する必要はない」という間違ったメッセージを学習者に伝えているように見えます。

 しかし、それで間に合うのはビジネスや社交の手紙の一部です。そのような作文も実用的には大事ですが、大学生になる人にとって本当に実用的な勉強は、大学レベルの論文・レポートを書きうる英語力をつけることと私は思います。そのためには、分野ごとの習慣や約束事を知るだけでなく、事実を知らない人に事実を正確に伝えること、同じ意見をもたない人に受け入れられやすい形で自分の意見を述べることができなければなりません。この根幹部分を学習するとき、文章は誤解されることもあり、外国語で書く場合にはとくに注意が必要であるという意識なしですませるのは、ほとんど不可能に近いのではないかと思います。私としては、少なくとも優秀な生徒さんには、現在の試験事情に左右されずに、本来必要な英作文の力をつけてもらいたいと願っています。

つづく

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