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夏休み英作文について(6) [自由英作文]

間接的な表現と言外の意味

 つぎは間接的な表現と言外の意味について考えます。以下の推薦状の例は英語の間接的な表現の働き方のわかりやすい例です。

《教員採用候補者のためにその指導教官が書いた推薦状》 Dir Sir, Mr. X’s command of English is excellent, and his attendance at tutorials has been regular. Yours, etc.(西光, 1999, p. 254)[X氏の英語力はすばらしく、個別指導にも休まず出席しました]

これを受け取った人は、まず、あまりにも短いこと、教員を推薦する文章なのに授業を担当する能力に触れられていないことにいぶかります。そして、その理由を推理する過程で「この人物は積極的には推薦できない」という言外のメッセージを受け取るのです。さらには「私は採用せよとも採用するなとも言っていない」とあとで主張する余地を残したいという指導教官の動機も感じとるかもしれません。ただし、手紙を受け取る人の性格やその人の属する文化によっては、言外の意味が通じなかったり、間違って伝わったりすることがありえます。

 言外の意味はかならずしも固定的なものではなく、流動的に変化します。“How old are you?”は、場面により「馬鹿なまねはやめなさい」「自分の判断で決めたらどうですか」という意味にもなります(ジェニー・トマス, 1998, p.87)。“Do you have a pen?”は「ペンを貸して」にも「いまメモできる?」にもなります。ジョニーの母親がママ友との会話中に、Johnny’s dadと言えば、ジョニーの母親と父親とは(離婚などの理由で)現在婚姻関係にないことが含意されます(そうでなければmy husbandと言うから)。ジョニーの母親がジョニーの友達に向かってJohnny’s dadと言っても、そのような含意は生じません(清水, 2009, p. 48)。このようなとき、外国語学習者は言外のメッセージをを受け取りそこねたり、理解するのに時間がかかったりします。

 言外の意味のこうした性質から、外国語学習者が外国語で間接的な言い方を用いるにはかなり注意が必要だろうと予想できます。かつてヴィクトリア女王に向けたスピーチで、アフリカの小国の王が「私は女王陛下の毛布に住むシラミにすぎません」と述べた事例があります(ジェニー・トマス, pp. 94-95)。王様はうまい比喩表現で女王を称えたと満足したようですが、女王やその取り巻きはどう聞いたでしょうか。この例を示したイギリス人言語学者が言うように、ここには「女王陛下は偉大である」という称賛とともに「女王の毛布にはシラミがいる」という無礼な指摘の両方があるように聞こえます。おそらく、面白いことを言うと思った人もいたでしょうし、不愉快と思った人もいたでしょう。この状況でメッセージは無事に伝わったようですが、実際のところ王様は危ない橋を渡ったのです。

 論文・レポートでも間接的な言い方は無関係ではありません。レゲットの覚書にあげられた例には書き手が期待する含意と読者が受けとる含意が異なり、言外の意味の伝達にすれ違いが生じているものがあります。日本語では「……と考えられる」と書いて、それが自分の意見であると言うことができます。しかし、これを直訳して ”It is believed that ...”と書くと、「一般的に(つまり、ほかの人には)……と思われている」という意味になります(Leggett, p. 800)。読者は書き手独自の意見がべつに書かれていると予想しますが、それを見つけることができず、混乱するのです。また、日本語では「このことはさまざまな観点から考察できる」という文を「ここでは詳述しないが、もちろん考えたうえで書いている」「今後の課題として興味があると思っている」というニュアンスで使うことができますが、英語で”This may be viewed from the standpoint of various considerations.”と述べると、「これからそのさまざまな考慮すべき点について説明する」という意味に受けとられます(p. 793)。読者はやはりあるはずのものを見つけることができず、混乱するのです。

 先ほどの都会暮らしに反対する作文は、この点でも危険です。環境が大事だという前提を言外に伝えるにしては、ひとつひとつの論点について説明量が少なく、手がかりが十分ではないからです。英語学習者の作文に慣れていない読者は、かくされた前提に到達できず、よく分からないという印象をもつでしょう。そして、べつの意味──「英語力が乏しいのだろう」「答える意欲に乏しいのだろう」「普段から論理的思考能力に乏しいのだろう」──をひきだすかもしれません。悪くすると「何か隠そうとしているのではないか」「煙に巻こうとしているのではないか」と疑うかもしれません。そんな風に意地悪く受け取らなくてもいいではないかと味方してくれる人がいたとしても、その根拠は文章の内部にはないのです。

 このようなすれ違いを避けるためには、自分が書いた文が完全に文字通り受け取られるとどうなるか、自分が本当に言いたいことは何かをよく考える必要があります。先生などに見てもらうことは役に立ちますが、必ず問題を解決できる保証はありません。つぎに述べるように、現状では大部分自分自身の努力により判断力をつけていかなければなりません。

つづく

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