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夏休み英作文について(4) [自由英作文]

パラレリズムとユニティー

 もう少し具体的にどんな書き方をすればいいのかを、2つ以上のことを書く場合と、1つのことを書く場合とに分けて説明します。2つ以上のことを書き、最終的に1つに統合するのにくらべて、はじめからただ1つのことを書くというのは案外わかりにくいと思うからです。

 2つのことを書くにはパラレリズム(並立構造)で整えるというはっきりした理想があります。パラレリズムとは基本的には文単位のルールで、等位接続詞の前後の要素は形をそろえなければならないというものです。たとえば、つぎように不定詞と動名詞を混在させることはできません。

   *She likes to ski and skating.

不定詞と不定詞、または動名詞と動名詞でそろえなければなりません。

   She likes to ski and (to) skate.
   She likes skiing and skating.

パラレリズムは、それだけでなく、パラグラフ(段落)や文章全体の構成原理にもなります。大学入試レベルの文章を読むようになると、この原理が部分的または全体的に活かされていることが多いのに気づくでしょう。

 例として、糖尿病について説明する文章を考えます。糖尿病には若年で発症する1型と中年以降に発症する2型があります。そのうち、まず1型糖尿病について、患者の割合、発症する年齢、症状、原因やメカニズム、療法や対策の順で述べるとします。そうしたら、つぎに2型糖尿病についても、同じ順序で、同じ程度の分量を書きます。すると、文章を読み進めるにつれて、読者の頭の中には2列の表(次ページ[省略])が自然に出来上がります。このようにして、2つの事柄はパラレリズムを用いることで統一するのが理想です。

 このとき注意したいことがあります。1型糖尿病の患者の割合が約10%と先に書いたならば、2型の患者の割合が約90%であることはほぼ自明だから省略するという書き方は考えられます。しかし、もし具体的に示すことができる種類の数字ならば、それぞれ明示するほうがよいのです。同じ順序で述べると単調な印象だからという理由で、順番に変化をつけるのはよくありません。特別な理由がなければ同じ順序でよいのです。2型のほうが患者数が多いから、その対策をくわしく書けば親切だろうと考えて、その部分だけ分量を増やすのもよくありません。そうしたいのなら、理由を述べて、べつのパラグラフをつくるとよいのです。また、糖尿病とインフルエンザのように本質的にべつべつな2つの事柄をパラレリズムにまとめるのは不自然です。

 3つのことを書くときも同じようにします。じつは糖尿病はほかにも、妊娠により症状があらわれる妊娠糖尿病(など)があります。これらも含めて説明するなら、今度は3列の表ができるように書けば理想的なパラレリズムです。もっとも実際の糖尿病の解説文では第3以下の型についてはつけ加え程度に触れられているにすぎない場合がありますが、それはこれらの型がまれなため、その現実に合わせた書き方が採られたからです。3つのことを書くには順序を工夫する必要も生じます。普通に配列するなら、旧情報から新情報への流れにしたがい、受け容れやすいもの・明白なものをはじめに配置し、受け容れにくいもの・強調したいものを最後に配置します。こうして徐々に読者を自分の考えや主張の中に引き入れます。しかし、まったく逆の順序で配置することもできます。この場合、まず読者にインパクトを与えて関心をひきつけ、最後に駄目を押すのです。

 書くことが4つにふえたときは、2対2にグループ化する余地ができます。つまり、文レベルで示すと、A, B, C and Dと単純に並べるかわりに、A and B as well as C and Dのように2つずつまとめることができます。文章レベルでも、論点を1から4まで羅列するより、何らかの基準をとって2対2にグループ化するほうがより考え抜かれた印象を与えます。ほかにランク付けして上からまたは下から順に述べていく方法も考えられます。どれを選ぶかは議論の方向や現実のありようを考えて決めます。5つ以上のことを書く場合も同様です。

 残るは1つの話題の扱い方です。私が昔読んだ英語の論文・レポートの手引書には、「1つのセンテンスには1つのアイディアだけを書く」「1つのパラグラフでは1つのトピック(話題)についてだけ書く」というアドバイスがよくありました。同じように、よい文章またはパラグラフにはユニティー(統一性)が必要であるという言い方もありました。ところが、よく見るわりには詳しい説明に出会わなかったため、大学生の私にはこれが本当のところ何を意味するのかわかりませんでした。

 たとえば、もしこのアドバイスに忠実にしたがえば、短い文の羅列になるのではないかと思いました。しかし、論文で短い文を羅列するのは下手な文章とされます。とくに少し前の世代の学者は何行もつづく息の長い文を書くのが習慣で、それが論文にふさわしいとされていました。パラグラフにしても、著者や分野により1ページを超える長大なものを見かけました。その長い長い文やパラグラフの中に考えや話題が1つしかないとはどういうことか不思議でした。同じことを言い方を変えて何度も繰り返したパラグラフは、たしかに1つのトピックしか含まないけれども、はたして優れているだろうかと思いました。そうではなく、内容は徐々に推移していかなければならないとしたら、どこからどこまでが1つの考えやトピックなのかと思いました。その後もこれらの点に明快な説明がある手引書に出会った記憶はないのですが、いまでは私にもこのアドバイスの意味が理解できるようになりました。

 次ページのヒエラルキー図(またはピラミッド図)[省略]がそのヒントです。hierarchyは狭くは高位聖職者(の序列)を指し、広くは階層的支配構造一般を意味します。日常では学校や会社の組織図で目にします。外見はちがうものの、教科書や参考書の目次もヒエラルキーをなしています。図書館や大型書店の書架もそうです。パソコンの階層型ファイルシステム(入れ子状のフォルダによるファイル管理)も基本的にはそうです。大まかな話ですが、私の印象では、この階層的支配構造はヨーロッパの人々の思考の広範囲に浸透しています。ヨーロッパの諸言語にはみな比較級があり、たいていは最上級もあることが関係するかもしれません。それに対して日本の受験生はみな比較構文が好きではないので、読み書きにおいてあまり強く意識していない可能性があります。しかし、ユニティーの理解にはこの考えが重要です。

 例として、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を見ましょう。アリストテレスは幅広い分野でヨーロッパの学問の基礎を築いたことで万学の祖と呼ばれ、現代でも分野によっては大きな存在感をもっています。『ニコマコス倫理学』冒頭には、あらゆる人間活動には1つの究極的目的があるという興味深い考えが示されています。つぎの一節をたどっていくと、アリストテレスがヒエラルキー構造にしたがって思考している様子がわかるでしょう。

いかなる技術、いかなる研究も、同じくまた、いかなる実践や選択も、ことごとく何らかの善を希求していると考えられる。[……]だが、実践とか技術とか学問とかにもいろいろ数多いものがあって、そのそれぞれの目的とするところもまた、たとえば医療は健康を、造船は船を、統帥は勝利を、家政は富を、というふうにいろいろなものとなってくる。いまもし、こうした営みの幾つかが或る一つの能力の下に従属するとすれば、──たとえば馬ろく製作とかその他すべての馬具の製作は騎馬に、そうしてこの騎馬やその他すべての軍事はさらに統帥に従属しているし、その他の場合にあっても同じような従属関係が見られる──、そこではおよそ、棟梁的なもろもろの営みの目的のほうが、これに従属する営みの目的よりも、より多く望ましいものなのである。なぜなら前者のゆえに後者は追求されるのであるから。[……]かくしていま、およそわれわれの行うところのすべてを蔽うごとき目的──われわれはこれをそれ自身のゆえに願望し、その他のものを願望するのもこのもののゆえであり、したがってわれわれがいかなるものを選ぶのも結局はこれ以外のものを目的とするのではない、といったような──が存在するならば、[……]明らかにこのものが「善」(タガトン)であり「最高善」(ト・アリストン)でなくてはならない。(高田三郎訳, pp. 15-16)


 ヒエラルキーの観点から考えると、先ほどの疑問を解決できます。ヒエラルキー構造は大きくても小さくても本質的には変化しません。同じように、文やパラグラフは長くても短くても、ユニティーをもつことができます。また、一見雑多な要素の集合でも、重要な共通点があれば、それを頂点としてヒエラルキーを作ることができます。同じように、さまざまな話題について書いても、つながりと一番大事なポイントがわかるように書けば、ユニティーをもつことができます。ヒエラルキーはまた、全体と部分がおおよそ相似な図形です。大きなヒエラルキーの中の小さなヒエラルキーを取り出し、順序よく述べていくならば、話題がスムーズに推移することになります。同じ内容の繰り返しは、階層構造をもたないため、許されないとわかります。

 よい文章やパラグラフがもつそのほかの性質として、cohesive(結合性がある)、consistent(一貫性がある)、comprehensiveまたはwell developed(包括的または十分詳しい)がよく挙げられます。ヒエラルキーの序列をたどって、目立った切れ目が感じられないとき、その文章には結合性があるのです。また、そのようなつながりが順序よく述べられていて、整然としているとき、その文章には一貫性があるのです。そして、関係するすべての要素が漏れなく含まれているとき、または十分な量の要素が含まれているとき、その文章は包括的または十分詳しいのです。文章の構想段階で階層構造が整っていると、これらの性質も実現しやすいでしょう。

 文章が書きにくいと感じたときは、頭の中の階層構造を吟味すると解決につながることがあります。横軸の中で同列を占めるはずの要素で忘れているものはないだろうか──縦軸の中で要素が抜け落ち、階層が飛んでいるところはないだろうか──べつの要素を頂点として(つまり、べつの観点から)整理しなおすことはできないだろうか──をあらためて考えてみます。構造がしっかりしていれば、叙述の順序や方法にいくらか欠陥があっても、全体的には理解される可能性が高まります。あとで機会があれば補足、訂正できます。

 これが唯一の正しい書き方であると主張したいわけではありません。けれども、これを手がかりにして、よいお手本を探してほしいと思います。上手な構成でわかりやすく書かれていると思う文章に出会ったら、ヒエラルキー構造やパラレリズムの観点から読み返してみてください。これらの構造がまさに当てはまるかもしれません。当てはまらないときでも、その文章にどんな工夫がなされているか探せば、新しいテクニックを学べるのです。

つづく

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