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夏休み英作文について(3) [自由英作文]

理想の英作文のイメージ

 大学生のころ私は論文・レポートの書き方の本をあれこれ読みましたが、結局どういう文章を目指すべきなのかわからず困りました。著者や分野により少しずつ異なるものの、こうした手引書には、やるべきこと(注のつけ方、参考文献の示し方、序論・本論・結論のような全体の構成の目安)、やってはいけないこと(剽窃は犯罪である、孫引きは危険である、陥りがちな論理的誤謬がある)が書いてありました。しかし、これらはでき上がった文章を点検するチェック項目としては役立っても、新しく文章を作り出す指針にはならないように思えました。親切な手引書には、作文のステップ(調査、構想、草稿、最終稿など)ごとに進め方が説明されていました。しかし、私の作文は説明通りには進みませんでした。

 英語の作文ではさらに困りました。昔から経験的に知られていることですが、日本語で申し分のない文章でも、英語に翻訳するとよい文章にはまずなりません。たとえば、Anthony J. Leggettの有名な「日本の物理学者のための科学英語についての覚書」(1966)には「優れた翻訳で読んでも日本人の英語科学論文はどこかわかりにくい」(p. 790)「頭を使って空隙を埋めなければならないところは、さながら水墨画のようだと感じる読者もいる」(p. 792)と述べられています。だから、その対策として、はじめから英語で書き、日本語の発想が入らないようにするべきだと昔からよく言われていて、今でも言われます。けれども、個々の文の主語の選択や動詞の語法についての問題がそれで解決するとしても、文章構成についてどんな効果があるのか私には疑問でした。このことをずっと考えていて、あるとき、どんな話題でも裁判をイメージすればよいのではないかと思いつきました(きっかけはアリストテレス『弁論術』にある法廷弁論・演説的弁論・議会弁論という用語を知ったことだったように思います)。その後、私には英語レポートを書く機会がないので、残念ながらうまく行くことが実証済みとはいきませんが、もっと早く思いつけば私の論文・レポートにも役立ったはずと確信していますので、ここで紹介します。

 イメージするのは現実の裁判ではなく、テレビドラマの中の裁判や裁判ごっこでかまいません。丁々発止の議論を戦わせる場面ではなく、むしろ平凡な場面が適しています。自分が証人・被告(人)・原告として法廷に立っていると想像して、書くつもりの内容をできるだけわかりやすく話してみてください。ありそうな質問を予想し、それに答えてみてください。こうすることで話の内容を整理することができ、結果として、意識しなくてもチェック項目の多くをクリアーできます。短い作文ならそのまま文章になります。長い作文でも、はじめに全体の構成についてこの作業をすれば、大事なポイントや注意すべきポイントを明確に意識できます。その後、各部分で同じ作業を繰り返します。

 説明する文章なら証人のイメージが役立ちます。もしドラマの中でこんな証人が出てきたらどうでしょうか──話があちこち飛んで、ついていくのがたいへん──延々と話しつづけるのを聞いても、知りたいことや肝心なことがわからない──何か知っているとほのめかすが、なかなか話さない──事実と意見の区別があいまいで、本当かどうか問いただすと「ただそう思っただけ」と言ったりする──質問されても直接答えず、持論を開陳しはじめる。ひょっとしたら面白いかもしれませんが、誰も自分の文章がこんな印象を与えるのを望まないでしょう。反対に、よい証人は話の順序が整っていて、詳しく目に浮かぶように話すので、状況が手にとるように理解できます。事実と意見が区別されていて、安心して聞けます。質問されれば、知っていることは素直に話し、知らないことは正直にわからないと言います。このような人物を演じるとよいのです。

 主張する文章なら被告(人)や原告がよいモデルになります。悪い被告(人)・原告は、矛盾することを主張して自分では気づいていないことがあります。根拠が薄弱だったり、主張をころころ変えたりします。都合の悪い質問をされるのを嫌います。開き直ったり、まじめに話さなかったりします。自分の話がこんなふうに聞こえるかもしれないと心配なら、修正する必要があります。よい被告(人)・原告は、主張したいことが明確で、根拠がしっかりしていて、理屈が通っています。聞く人の疑念にすすんで答えます。内容に自信があるので、はったりを効かせたり、虚勢を張る必要がなく、まじめに話します。

 ほかの人物も役に立ちます。裁判官や傍聴人は読者とみなすことができます。裁判官は判決を下すので、先生や採点者のようなタイプの読者です。傍聴人は熱心に聴いたり、よく聴かなかったり、ときどきどよめいたりするかもしれませんが、通常発言はしないので一般読者に似ています。できればどちらにもアピールするように構想を立てます。検事や弁護人は読者の代表として疑問点を質し、作文の流れを導きます。するどい検事の質問により、作文は詳細になり、脈絡が整い、わかりやすくなるでしょう。都合のよい質問しかしない弁護人の誘導にしたがっていると、独善的で、読者には理解しにくい作文になる恐れがあります。

 裁判と英作文の取り合わせは、間にスピーチを置いて考えるなら、それほど突飛ではありません。アメリカ・イギリスには幼稚園から小学校低学年にかけてショーアンドテル(show and tell)という言語教育があります。YouTubeなどの映像を見ると、子供たちが好きなおもちゃなどをもってきて、みんなの前で説明し、質問に答えています。まるで将来裁判でよい証言ができる証人を教育しているかのようです。さらに上の学年のパブリックスピーキングやディベートはもっと裁判に似ています。大学で博士号を得るには博士論文を提出後、口頭試問を受ける習慣があり、その口頭試問はdefense(弁護)、結果の発表はverdict(評決)と呼ばれます。現在の試験の実態はさまざまですが、元来は学位請求者が学位にふさわしいかどうかを争う裁判のようなものだったと言えます。

つづく

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